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2018/04/29 (Sun)
宇治大納言物語というものがある。この大納言とは源隆國といい、西宮殿―源高明―の孫、俊賢大納言の次男である。
年を召されてからは暑さを嫌われて休暇を願い出、五月から八月までは平等院の一切経蔵の南の山際にある南泉房という場所に引きこもられた。それにより、宇治大納言と評された。
髪を結い上げた風情のある姿で筵を板に敷いて涼まれた。
大きな団扇を手に持って扇ぎ、往来の者を身分の上下に関係なく呼び集めて昔話をさせ、自分は屋内で横になり、語るのに応じて大掛かりな本を記された。
その中には印度のことも中国のことも、日本のこともあった。尊いこともおかしなことも、恐ろしいことも悲しいことも、汚いこともあった。
少しは嘘もあり、滑稽なこともあり、様々な具合であった。
人々はこれらの話を面白がった。これらの本は全部で14冊である。
その正本は受け継がれ、侍従俊貞という人の元にある。
どういうことだろうか、後世の賢人たちの加筆により、物語が多くなった。
大納言より後の出来事を記した本もあるのだから、それほどまでに近年物語を加えた本も出ているのである。
大納言の物語に漏れたものを拾い集め、またその後の出来事を掻き集めたためだろうか、その名を宇治拾遺の物語という。
宇治に残ったものを拾ったということだろうか、また侍従を拾遺というので侍従大納言が記されたことにより宇治拾遺物語というのか、はっきりとはしない。
(原文:角川ソフィア文庫 中島悦次校註の宇治拾遺物語)
(現代語訳には学研新古語辞典市古貞次編及び上記宇治拾遺物語内註釈を用いましたが、何分学のない素人が適当にやったものなので、あちこちに誤りがあると思われます。読むときは適宜訂正してください)
年を召されてからは暑さを嫌われて休暇を願い出、五月から八月までは平等院の一切経蔵の南の山際にある南泉房という場所に引きこもられた。それにより、宇治大納言と評された。
髪を結い上げた風情のある姿で筵を板に敷いて涼まれた。
大きな団扇を手に持って扇ぎ、往来の者を身分の上下に関係なく呼び集めて昔話をさせ、自分は屋内で横になり、語るのに応じて大掛かりな本を記された。
その中には印度のことも中国のことも、日本のこともあった。尊いこともおかしなことも、恐ろしいことも悲しいことも、汚いこともあった。
少しは嘘もあり、滑稽なこともあり、様々な具合であった。
人々はこれらの話を面白がった。これらの本は全部で14冊である。
その正本は受け継がれ、侍従俊貞という人の元にある。
どういうことだろうか、後世の賢人たちの加筆により、物語が多くなった。
大納言より後の出来事を記した本もあるのだから、それほどまでに近年物語を加えた本も出ているのである。
大納言の物語に漏れたものを拾い集め、またその後の出来事を掻き集めたためだろうか、その名を宇治拾遺の物語という。
宇治に残ったものを拾ったということだろうか、また侍従を拾遺というので侍従大納言が記されたことにより宇治拾遺物語というのか、はっきりとはしない。
(原文:角川ソフィア文庫 中島悦次校註の宇治拾遺物語)
(現代語訳には学研新古語辞典市古貞次編及び上記宇治拾遺物語内註釈を用いましたが、何分学のない素人が適当にやったものなので、あちこちに誤りがあると思われます。読むときは適宜訂正してください)
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